トップへ


「書を持って街に出よう」第8回トップページに戻る

<村岡花子さん略歴>

村岡花子(むらおか・はなこ/本名はな、旧姓安中) 1893(明治26)年〜1968年(昭和43年)

1893年 山梨県甲府市生れ、のち東京に転居。7人兄弟の長子。
1904年 クリスチャンであった父の関係で、カナダ系ミッションスクール東洋英和女学校に編入学。
英語による授業、寄宿生活など当初は戸惑うこともあったが、13歳頃には図書館にある英語の原書を読めるようになり、 同級生の柳原白蓮さんのご紹介により、18歳とき短歌の大御所・佐佐木信綱氏に師事し、歌人・翻訳の第一人者である片山広子さんに出会い、次第に文学に傾倒。
1914年  東洋英和の高等科を卒業、山梨英和女学校で英語教師として教鞭をとる。
      歌集「さくら貝」を友人と出版。
1917年  教文館(東京)で婦人・子ども向けの本の編集に携わる。1918年、印刷会社を営む村岡氏と結婚。
1923年  関東大震災で夫の会社が被害を受ける。
1926年  長男が病気のため夭逝。片山広子さんにすすめられ、 "Prince and Pauper"を翻訳。
1926年  童話集「紅い薔薇」を刊行。自らの創作活動も活発に。
1927年  初の翻訳本「王子と乞食」平凡社から刊行、好評を得る。同人誌「火の鳥」創刊
1930年  「喜びの本」(パレアナの成長/E.H.ポーター原作) 翻訳、刊行。
1932(-1942)年 JOAK(現在のNHK)ラジオ放送初めての子ども向け番組「コドモの時間」の中で「コドモの新聞」を担当。
1939年  "Anne of Green Gables"(by Lucy Maud Montgomery, 1908) を友人のカナダ人宣教師から贈られ、感銘を受ける。戦時中にかけ、「帰国した友人への友情の証として」コツコツと訳出を続ける。
1952年  三笠書房より[赤毛のアン]刊行。(のち、新潮社から刊行)
       自宅に「道雄文庫ライブラリー」開設。文庫活動に貢献。
1957年  家庭文庫研究会会長。1960年   児童文学への貢献により、藍綬褒章受賞。
1968年  脳血栓により逝去、享年75歳。ついにカナダの土を踏むことはありませんでした。
1969年  遺稿集「生きるということ」刊行。

[その他主な翻訳作品]
「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」(E.バートン原作 1961年)、「バラの少女」(L.M.オルコット原作 1951年)、「あしながおじさん」(1953年)、「アンディとライオン」(E.ドーハティ原作 1961年)、「ごきげんなライオン」(R.デュボワザン原作 1964年)、「小公子」「小公女」(バーネット原作 1960年)、「八人のいとこたち」(L.M.オルコット原作 1958年)、「かわいいエミリー」(モンゴメリ原作1967)エミリー3部作、「クリスマスキャロル」(ディケンズ原作)、「母の肖像」(パール・バック原作 1952年) ほか多数。

[その他主な著作]
・童話集 「お山の雪」(1928年)、「青いクツ」(1940年)、「桃色のたまご」(1948年)、「一年生のための村岡花子童話集」
・随筆集 「母心随想」(1940年)、「雨のなかの微笑」(1947年)、「四季のおくりもの」(1949年)、「悔いなき結婚のために」(1955年) ほか多数

[参考文献]
・赤毛のアン (モンゴメリ著、村岡花子訳、新潮社 新潮文庫版 1954年7月発行・2001年5月/115刷 ISBN:4-10-211301-0)
・日本児童文学大事典 第2巻(大阪国際児童文学館編、大日本図書、1993年 ISBN:4-477-00376-5)
・児童文学事典 (日本児童文学学会編、東京書籍、1988年 ISBN:4-487-73191-7)
・児童文学者人名事典−日本人編・下巻(た〜わ行)−(中西敏夫編、出版文化研究会、1999年)
・東洋英和女学院・敬和会 第52号「初めての『赤毛のアン』」村岡みどり、1990年3月


「書を持って街に出よう」第8回トップページに戻る